不登校ひきこもりなど各種教育相談

誰しもが当事者になりうる問題です

不登校ひきこもりについての、教育相談や親御さん、お子様の悩みを聴いて、解決へと尽力しております。
多くの場合、子供だけではなく、ご両親の悩みであったり、家庭全体における悩みであったりすることが多いです。また「そういうのはたいがいモンスターペアレントなどが問題なんでしょ?うちはそういう家庭とは違うから」と思っておられる方が多くいらっしゃいます。しかし、実際には「当たり前の家庭に、当たり前に起きうること」なのだということを認識していただけたらと思います。
「不登校ひきこもり」、それは、「誰しもに起こりうること」なのです。
だから、もし自分の子供が不登校になったり、ひきこもったり、自分自身が悩みぬいて倒れたりなど、
そんなことがあったとしても、それを責めないでください。がんばりすぎないでください。

不登校ひきこもりとはこうだ、という決まりはありません

人間は千差万別。必ずこうなる、ということはありません。
下記に、ひとつの事例をご紹介いたしますが、「うちもこうだ!!」「うちは違う!!」などと考えずに、あくまで「そういう考え方もあるのだな」と受け取っていただけたらと思います。

しあわせは人それぞれ ~勝手に不幸になるな!!~

2010-01-05
私が本当に、心から涙した、そんな実話について、お話したいと思います。
長文ですが、お付き合いいただけたらと思います。



あるご家庭で、「息子が不登校になった」と連絡があった。
私は、お話を受けて、そのご家庭にお邪魔した。

そのお宅は、自宅の一階でお店を経営していた。
「不登校になった」という息子さんは、
そのお店でお手伝いをしていた。
ご近所だろうおばあさんやおかあさんたちと談笑をしている。

「この子が不登校!?」

そう、疑問を持ってしまうほどに、和やかに話をしていた。

私は、お店が閉店になるのを待ち、
まずはお母さんとお話をすることになった。

母「うちの息子が学校に行きたくないと言いはじめて・・・
どうしていいものかわからなくて困っています。」

「中学校1年生の夏休み前から急に行きたくないと言いはじめた」
「中学校から、塾に通い始めた」
「小学校までは、絵画教室に通っていた」
「実は中学受験に失敗した」

そんな事情を聴きました。
ある程度、話を聴いてから、私はその男の子と話をしました。

男の子「こんばんわ・・・」
・・・ちょっと元気がなさそうだった。

私は、素直に昼間見た感想を話した。
「こんばんわ。昼間、お店で見てたよ。元気でいいじゃん!!
もう何も問題ないよね。ご近所さんともお話できているし、
人として何よりも大切なことができていると思う。すごいね!!」

途端に、その子は、いい表情になって話をしてくれた。
「だって、いろんな人とお話するの、楽しいんだもん♪」

にこやかに話してくれるこの子の姿を見て、
「いったい何が不登校なんだろうか?」
より一層、疑問は深くなった。

その時、横にいたお母さんが言いました。
「なんでこの子は、うちの手伝いもできるのに
学校には行けないんでしょうか?
私が聴いても話してくれないんですよ。」

途端に、男の子の表情が曇り、下を向いてしまった。


「すいません、お母さん。ちょっとの間、
○○くんと二人で話をしたいのですが、よろしいですか?」

私は、子供と二人きりにしてもらい、話をしました。

ご近所さんと話をにこやかにしている時、
先ほど、私とにこやかに話をしていた、その表情。
そして、お母さんと話す時の表情。
あまりにも違いすぎる表情。これはいったいなぜなのか。

私は、ここ最近の出来事について、話をしてみた。
「ね、もし気がかりなことがあったら話してみて。
こんなに素敵な笑顔ができる○○くんが、悲しそうにするのは辛いから・・・」

そしたら、その男の子は泣きはじめました。
ひとしきり泣き終えて、それからぽつぽつと話してくれました。

「自分ちのお店が好き」
「人と話すのが好き」
「趣味でやっていた絵画教室も大好き」
「お店でがんばってるお母さんも好き」
「学校の友達も好き」
「学校も楽しい」

「・・・だけど、学校には行きたくない」

「それじゃ何か嫌なことがあるの?」

「・・・テスト」
テストの何が嫌なのか、それを聴いてみて、私は愕然としました。

「だって、テストの点がいいか悪いかだけしか、
お母さんは僕を見てくれなくなったんだもの!!!
テストさえなくなれば、お母さんはまた、
僕が好きな昔のお母さんに戻ってくれるんじゃないかって・・・・」

そこで、その男の子はまた泣き崩れてしまいました。
その姿を見て、私は涙が止まりませんでした。

言葉も出せずに、私もその子も泣き続けました。

ひとしきり泣き終えたあと、
私はお母さんを呼び、いまのことを話そうと思いました。
その時のお母さんの第一声は、こうでした。

「どうでした?うちの子が不登校になったのは、学校の責任ですか?
先生が悪いんですか?社会が悪いんですか?なんですか?」

その言葉を聴いた途端、また男の子は泣き崩れてしまいました。
私は、怒鳴りたいくらいの衝動に駆られましたが、
ここで私が取り乱してはいけないと思い、
なんとかこらえながら先ほどの話をしました。

「自分ちのお店が好き」
「人と話すのが好き」
「趣味でやっていた絵画教室も大好き」
「お店でがんばってるお母さんも好き」
「学校の友達も好き」
「学校も楽しい」

「・・・だけど、学校には行きたくない」

「テストだけで、自分の評価してもらいたくない!!」

子供が泣いている横で、私は淡々と話をしました。
しかし、その時お母さんはこう言いました。

「私はあなたのしあわせのために言ってるのに、
どうしてそんなに反発するの?いい点取ることがしあわせなのに・・・」

それを聴いてますます大きな声で泣き始めた子供を見て、
私は、さすがに大声で叫んでしましました。

「あなたは、自分の子供が泣いているこの姿をみて、
まだテストの点がどうこうなんて言ってるんですか!!!
こんなに健気で、お母さんが好きで、お店が好きで
おうちが好きで、話もできて、そんな子をテストだけで判断するんですか!!!
なんで○○くんが、あなたには話さなかったことを私に話したか、
母親として、泣きながら自分の子供が目の前にいて、
他人の私に話してくれて、自分には話してくれない状況を見て、
感じることがあるでしょう!?」

きょとんとしたお母さんに、私は話しました。

「○○くんは、おうちの手伝いをしているとき、
好きな絵画教室に通っているとき、
そして、おうちを切り盛りしているお母さんの姿が好きで、
それをしあわせだなって思って生きてきているんです。
それでいいと思ってるんです。
なのになぜ、そうまでしてテストの点にこだわるんですか?
テストの点ではなく、○○くんを見てあげましょうよ!!」



お母さんはその時、泣きながら話はじめました。
「なんでこんなお店を好きだなんて言うの・・・
なんでこんな私みたいな人間を好きだなんて言うの・・・
高校卒業しかしてないで、いい会社に就職もできなくて、
ただただ、家で仕事をするしかないような、そんな情けない人生。
まわりのみんなが、私のことを「その程度の人間だ」って、蔑むの。
私は、子供にはこんな自分のようにだけはなってもらいたくない。
みじめな思いをしてもらいたくはない!!
だから、子供には勉強していい点とって、いい大学にいって、
いい会社に勤めて、いい人生を歩んでもらいたいって。。。
そう思っている私の何が悪いのっ!!!」

お母さんの心にあったこと。それは「現代社会に適応できなかった自分」
という劣等感と、そこへの恨み。だけど、それができないのは自分のせいだと、
自分を責め続ける気持ちでした。

私は言いました。
「お母さん、○○くんは、お店を切り盛りしているお母さんが好きだって。
がんばって仕事しているお母さんが好きだって。
このお店が好きだって、そう言ってるんです。
これ以上の幸せってありますか。
これ以上、誰に何を認めてもらう必要がありますか。
お母さんは、自信を持っていい。堂々と、胸を張っていい。
そうじゃないですか?」

お母さんもその場で泣き崩れました。

気持ちが落ち着いてきたのを見て、私は言いました。

「お母さん、いまなら、○○くんと素直に話ができると思います。
○○くんも聴けると思います。話せると思います。話してみましょう。」

すると、お母さんは話はじめました。
「ごめんね。お母さんは、こんなうち継がせたくないからって、
勉強できなくて惨めな思いをしてもらいたくないからって、
そう考えて、○○に勉強してもらいたいって思ってたの。
だけど、○○はそんなにうちのことが好きだったんだね。
お母さんのこと好きって言ってくれてありがとう。
○○のこと、わかったよ。もう、無理に勉強なんて言わない。」

それを受けて、男の子。
「お母さんが、そんなふうに考えてたなんて知らなかった・・・
ただ【いいから勉強しなさい!!いい点とりなさい!!】しか言わなかったのに・・・
ありがとう、お母さん・・・」

お母さんと男の子は、顔を見合わせ、そして泣きました。
私も、その場で一緒に泣きました。



なんだろう・・・こんなにお互いのことを好きで、思いやっている親子なのに、
なんでこんなにも悩み、苦しまなくてはいけなかったんだろう。

子供だ子供だ、と思っても、子供って、見ているんですよね。
そして、知っているんですよね。
「しあわせ」って、「お金を儲けること」や「いい大学に行くこと」ではないって。

がんばっている親の姿を見て、
楽しそうに会話をしている大人の姿を見て、
「こうなりたい」って思うんですよね。
それを「しあわせだ」って思うんですよね。

なのに、大人は自分の勝手な理屈で、
しあわせを人に押し付ける。子供たちに押し付けてしまう。

今回のお母さん、本当は「今がしあわせ」なんじゃないんでしょうか。
だって、お店で働いている姿、それは本当ににこやかで、
その場に一緒にいるだけで、こちらも心がほんわかできた。
子供が「お母さんのようになりたい」「跡を継ぎたい」と思う。
それほどの人が、何を不満で、何が不幸だと。

なのに実際、いまの世の中は、
それを不幸だと思ってしまう。思わされてしまう。

「しあわせのかたち」
それは人それぞれ。
ついつい、「自分の感覚」ではなく、「他人の感覚」で物事を判断しようとしていませんか。
そして、それを自分だけではなく、他人にも押し付けようとしていませんか。



世の中の「一般的なしあわせ」だとか、「ふつう」だとか、
そんな言葉に惑わされないようにしなくちゃいけない。
そんなことで、自分のしあわせを、ましてや子供のしあわせを奪ってはいけない。

そのことを、心の底から感じさせてくれた、そんな事例でした。

「しあわせ」かどうかは、自分が決める。

そして、子供たちに「そうなりたいな」と思われるような、
そんな生き方をしていきたいと、そう心に刻むことになった、そんな事例でした。

みなさんは、この親子の姿から、どんなことを感じますか。