|
last update at |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第2回MIA通信です。
|
小野さんのお宅
小野さんの川中島の自宅は、敷地は広大で、建物も大きかったのですが、材木屋の倉庫を改造した質素なものでした。 奥さんと子供が三人、男の子二人と、その上の女の子は脳性まひの知的障害者でした。小野さんがいつも人間に深い愛情と思いやりを持つようになったのは、障害児を持ったからだと言ったことがあります。頭が異常に大きく、顔のゆがんだ女の子に奥様がスプーンでご飯を食べさせていました。 私は、障害児と身近に接したのは初めてでした。でもそのお陰でそれ以降、障害者に出会っても何の偏見も持たなくなりました。 小野さんと奥様がいたわっていたその姿が今でも目に焼きついているからです。 夕食は小野家伝来の郷土料理『釜あげ』を食べさせて貰いました。釜なべで煮たうどんを味噌と大量の大根おろしを自分で調合して食べる小野家独特の食べ方なのだそうです。うまい!忘れられない味でした。 泊めていただいた翌日、小野さんは製材職工の社員を二人乗せて本社に出勤しました。もちろん私も同乗でしたが、小野さんは長野にいる限り毎日送り迎えをしていたのだそうです。そして、必ず全社員の朝礼をしていました。 会頭の一年は、4日しか長野に帰れなかったと言っていましたが、それでも帰れば必ず社員を車に乗せていたそうです。 どんなのJCで忙しくとも、使える時間は全て会社のために使うと言う姿勢、これさえあれば社員はわかってくれるのです。家族も同じだと思います。 エピソード 小野さんと家族のエピソードをひとつ。 小野さんが結婚したて、毎日JCで遅くなる。しかも飲んで帰る。奥さんが『JCと私とどっちをとるの?』と迫ったとき、つい酔っていたので、『俺はJCだ。』と言ってしまったそうです。これには参った、散々やられた、本音を言っちゃあ、おしまいだね、と自戒していましたが。 その後日談。 小野さんはJCの歴史で初めての会頭選挙で選ばれたのですが、会頭に立候補することを決意して一番先に奥さんに相談したそうです。 『おまえはどう思う』と言う問いかけに答えた奥さんの言葉は小野さんを感激させました。 『皆さんが薦めてくれるならいいじゃあありませんか。あなたが大きくならなければ私は大きくなれません。私が大きくならなければ子供たちも大きくなれません・・・・』 最初のエピソードと後のエピソードの間にどんなことが起こっていたのでしょうか。 多分小野さんが大きく成長し、家族を大切にしていたのだと思います。使える時間は少なくとも、日本全国どこにいても、手紙や電話を家族に出していました。そのことを奥様もよく理解するようになっていたのだと思います。 さて、今日の通信はこの位にしておきます。小野さんのことを話し始めるときりがないのですが、いづれまた話させていただきます。 青年とは、未熟であることを自覚している人のことを言います。俺はそうは思っていない、そんな自覚はないもの、と言う人もいると思いますが、 では、角度を変えて聞きます。 あなたは、現状に不満はありませんか?自分の理想を描いたことはありませんか? あるとするなら、まだまだ未完成であるからだと思います。 MIAをもっと勉強していきましょう。良き機会は、そうめったに巡ってくるものではありません。これからもどうぞよろしく。 2001.3.28 今 井 清 二 郎 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
[HOME] kurimoto@soeinet.or.jp |